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幼年期 - デビュー前

祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市、父・眞一郎は産婦人科医。札幌市に生まれ、5歳のときに岩内に引っ越し、小学6年生までを岩内で過ごす。

その後帯広に移り帯広第三中学校に入学。1966年の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせて山形市に移り市立第六中学校に通うが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。帯広柏葉高校卒業。札幌の藤女子大学文学部、国文学科を卒業した。

帯広柏葉高校3年生の時、文化祭で初めてステージを踏む。この時歌ったオリジナル曲は、「鶫の唄」である。大学時代は、放送研究会に所属し、ローカルラジオ局でスタッフのバイトなどをする一方、北大フォークソングのメンバーとも交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。

1972年には、「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞している。(なお、この時の音源は大会実況版としてLP化されている。)なお後年、本人はコンテストに出場したのは(交通費や弁当代が支給されるので)、バイト代わりであったと述べている。

大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝う傍ら、アマチュア活動を続ける。喫茶ジャズオーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏み、デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得していた。(デビュー以前、オリジナル曲は既に100曲以上存在していた。)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中島みゆき物語

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